元あまちゅあ芸人のお笑いぶろぐ

このブログは、学生時代に落語研究会で芸を磨いた40男が、自分の才能、努力、根性の全てを掛けて、お笑いについてちょびっとだけ書き綴るぶろぐである。

TOKIO

代表であるジャニー喜多川や、
国民的アイドルとまで言われたSMAPの尽力により、
日本を代表する芸能プロダクションまで上り詰めた「ジャニーズ事務所」。
 
その人気を盤石にしたのは、彼らの力だけではなく、
表舞台に立って活躍し続けて来たアイドルグループのメンバー達。
 
その中でも、ジャニーズのバラエティの顔として、
今も活躍し続けている「TOKIO」について、
掘り下げてみたいと思います!
 
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Wikipediaより引用
 
CDデビューまで
 
1989年、テレビ朝日のバラエティ番組『アイドル共和国』内で、「平家派」のメンバーだった城島と山口が「城島茂バンド(通称:ジョーバンド)」というユニットを結成(更に前身は「JURIA」というバンド)。 その後、社長のジャニー喜多川が「TOKIO BAND」というバンド名を与えた。このTOKIO BANDが、現在のTOKIOの直接の前身に当たる。
 
1990年4月、国分(城島、山口と同じく「平家派」の出身)と松岡が、「SMAP学園」選抜メンバーとして城島と合流後、3名で最初のTOKIOを結成。 少し遅れて小島啓が加入し4人組となる。 しばらくこの4人での活動が続いたが、城島がジャニー喜多川に交渉した事により、山口も新しくメンバーに加わった。

1992年頃から、ジャニーズJr.の中で頭角を現していた長瀬が時折サポートとして加入するようになる。それ以降デビューまで、雑誌・ラジオ等では長瀬を除く5人編成、テレビやライブでは長瀬を含む6人編成といった変則的な構成であったり、ダンスチームとバンドチームの2グループ制でも活動していた。(城島はバンド側のみ所属し、残りのメンバーは両側に所属。)
 
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やはり、城島リーダーはダンスする人ではなかったか!(笑)
今の5人が当たり前になっていると、こういったデビューまでの背景を見てみると面白いですよね!