元あまちゅあ芸人のお笑いぶろぐ

このブログは、学生時代に落語研究会で芸を磨いた40男が、自分の才能、努力、根性の全てを掛けて、お笑いについてちょびっとだけ書き綴るぶろぐである。

ジャニーズがバラエティ番組へ

いまや日本を代表する芸能プロダクションとなった「ジャニーズ事務所」。
ジャニーズをゼロから今の地位まで押し上げたのは、代表であるジャニー喜多川の手腕によるものであるが、
彼とともにジャニーズを、ここまでのエンターテイメント集団に育て上げたのは、間違いなく「SMAP」である。
 
彼らはドラマやバラエティに積極的に進出することで、スター性を持ちつつも、身近な存在に感じるという、今までのアイドルがなし得なかった存在価値を獲得した。
 
「国民的アイドル」と呼ばれ、28年もの長い間、第一線で活躍し続けた「SMAP」に焦点をあて、彼らがどのように時代を作ってきたのかを、深く掘り下げて調べてみたい。
 
Wikipediaより引用
この状況を打開したのが、当時事務所の事務職員であった飯島三智である。飯島はSMAPのマネージャーに志願すると、それまで事務所が距離をとっていたバラエティ路線にSMAPを積極的に売り込んでゆく。1992年に始まった『夢がMORI MORI』では、アイドルとしては例が無い本格的なコントに挑戦した。それまでにもたのきんトリオなどコントをしていたタレントもいたが、SMAPはアイドルであることを言い訳にせず、本職のお笑い芸人顔負けの本気で「笑われる」対象に徹した。奇しくもお笑い界からは「踊れる芸人」として吉本印天然素材SMAPデビューと前後して結成されるなど、漫才ブームの余波でお笑い芸人がアイドル的人気を得る状況が起きていた[12]
 
な、何と!吉本天然素材とSMAPのデビュー時期が被っていたのか!
それは知らなかったーーー!!!
 
確かに、まだ右も左もわからないくらい、若かったSMAPだが、よくマネージャーの指示通りに動いてきたものである。
そして、それを許したジャニー喜多川の懐も広い!
 
一歩間違えれば、事務所の方向性を問われるようなことを、若かりしSMAPはやってきたのである。