元あまちゅあ芸人のお笑いぶろぐ

このブログは、学生時代に落語研究会で芸を磨いた40男が、自分の才能、努力、根性の全てを掛けて、お笑いについてちょびっとだけ書き綴るぶろぐである。

スーパーキックベース8

いまや日本を代表する芸能プロダクションとなった「ジャニーズ事務所」。
ジャニーズをゼロから今の地位まで押し上げたのは、代表であるジャニー喜多川の手腕によるものであるが、
彼とともにジャニーズを、ここまでのエンターテイメント集団に育て上げたのは、間違いなく「SMAP」である。

彼らはドラマやバラエティに積極的に進出することで、スター性を持ちつつも、身近な存在に感じるという、今までのアイドルがなし得なかった存在価値を獲得した。

「国民的アイドル」と呼ばれ、28年もの長い間、第一線で活躍し続けた「SMAP」に焦点をあて、彼らがどのように時代を作ってきたのかを、深く掘り下げて調べてみたい。
 
まずは、彼らが踏み出したバラエティの「足掛け」となった番組「夢がMORIMORI」。
未完成の彼らが、どのような「チャレンジ」をしていたのかを振り返る。
 
Wikipediaより引用
主審は主に三遊亭小遊三が務めた。小遊三がスケジュールの関係で審判ができない時には、竹井輝彦が代理で担当した。
 
えええー!?
まさかの小遊三師匠!
こんなところにも、出ておられたのですねー!(。・∀・)ノ