元あまちゅあ芸人のお笑いぶろぐ

このブログは、学生時代に落語研究会で芸を磨いた40男が、自分の才能、努力、根性の全てを掛けて、お笑いについてちょびっとだけ書き綴るぶろぐである。

SMAPの売り出し方

いまや日本を代表する芸能プロダクションとなった「ジャニーズ事務所」。
ジャニーズをゼロから今の地位まで押し上げたのは、代表であるジャニー喜多川の手腕によるものであるが、
彼とともにジャニーズを、ここまでのエンターテイメント集団に育て上げたのは、間違いなく「SMAP」である。
 
彼らはドラマやバラエティに積極的に進出することで、スター性を持ちつつも、身近な存在に感じるという、今までのアイドルがなし得なかった存在価値を獲得した。
 
「国民的アイドル」と呼ばれ、28年もの長い間、第一線で活躍し続けた「SMAP」に焦点をあて、彼らがどのように時代を作ってきたのかを、深く掘り下げて調べてみたい。
 
Wikipediaより引用
しかしこの頃、1980年頃から始まったアイドルの大衆化が極限まで推し進められ、自我を抑制して与えられた役割を演ずる、光GENJI的な「仕立てられたアイドル」は限界を迎えていた。光GENJIも1990年代に入ってから人気が降下し始める。SMAPは結成後3年を経て、1991年9月9日、シングル『Can't Stop!! -LOVING-』でメジャーデビューを果たすが、オリコン週間チャートでは2位どまりで、セールスはデビューシングルとしては事務所始まって以来最低の15万枚で、地方でのコンサートでは客もまばらだった。アイドル業界全体が下火となる中で音楽番組も次々と打ち切られ、事務所もSMAPの売り出し方について確たる方針を定められないでいた[11]
 
ってことは、僕がSMAPを初めて見た頃は、事務所がSMAPの売り出し方について悩んでいた時期だったのか・・・。
確かに、「姫ちゃんのリボン」の主題歌を歌っていたり、香取慎吾が「赤ずきんチャチャ」の声優をしていたのも覚えている。今のSMAPからすれば、考えられないことである。