元あまちゅあ芸人のお笑いぶろぐ

このブログは、学生時代に落語研究会で芸を磨いた40男が、自分の才能、努力、根性の全てを掛けて、お笑いについてちょびっとだけ書き綴るぶろぐである。

ジャニーズの生みの親、ジャニー 喜多川氏7

昨今、テレビを付ければ、
ドラマもバラエティも、ニュースでさえもジャニーズ事務所のタレントを見ない日はない。

「ジャニーズ」というブランドを、1代でここまでに育て上げた、ジャニー喜多川氏。
その人生は波乱万丈であり、今も86歳にしてチャレンジを続けている。

その彼にスポットを当て、ジャニーズが創成期からどのように成長してきたのか。
そしてこれから先、日本のエンターテイメント業界をどのように牽引していくのかを調べていくことにする。

wikiペディアより引用
1960年代初頭、ジャニーは自分の住んでいた東京・代々木の占領アメリカ軍宿舎「ワシントンハイツ」にて、近所の少年たち約30名を集めた少年野球チームのコーチをしていた。そのチーム名は、本人のニックネーム「ジャニー (Johnny)」[注釈 3]からとって「ジャニーズ」と名付けられた。このチームのメンバーには、浜田光夫・小畑やすし・設楽幸嗣等もおり、応援団には松島トモ子も居た。このチームはプロ野球の球団や力道山等に支援されており、後に練習場も池袋にある立教大学のグラウンドへと移行した。
 
戦後間もないころ、大人の生活もまだまだままならないときに、子どもたちを集めて、野球のコーチをされていたとは・・・。
しかも、プロ野球選手の球団や力道山などに支援されていたとは・・・。
既にものすごい人脈をお持ちだったんでしょうねー!